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老陶芸家
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 バイト先の窯場で、陶器商に頼まれたサンプルの抹茶茶碗を天日に干していると、
ここら辺りで有名な陶芸家のおじいさんがふらっと立ち寄って
「これじゃあ、売り物にならんな。」と一言。

 確かに自分でもイマイチの出来だと思っていたので、神妙にアドバイスを聞いていると、
「じゃあ挽いて見せてやろう。」という事になって、実際にろくろを挽いてもらう事になった。

 この陶芸家のおじいさん、まん丸眼鏡にモジャモジャの髪に長い髭でときどきフラリとこの窯場に現れる。
 この地域の人々には、「先生、先生。」と尊敬されているが、陶芸家として第一線で有名かと言われると、あまり名前は聞かない。

 しかし、有名人の知り合いは多いような噂も聞くし、大物陶芸家のようなエピソードもよく自分で喋っている。
 今日も「40万の抹茶茶碗を今挽いてきたばかりだ。」と言っていた。
限りなくハッタリに近いような気もするのだが、サラサラと即興で書く絵や書は味があって様になっているし、なんとなく心引かれるようなオーラもある。
ときどきかぶって来るロシア人のような変な毛皮の帽子や唐笠のせいかもしれないが。

 とにかく、そのインチキ臭さも含めて古き良き陶芸家のイメージそのままなので、僕は結構好きである。

 それで、さっそくろくろを挽いてもらった。
ろくろのスピードはゆっくりで、ずっとウンチクを喋り続けながらくねくねと土を器にひねり出す。
けっして鮮やかな手つきとは言えないが、下手とも言えない。
もしかしたら凄くうまいのかもしれない。
出来上がったものも味があって、良いモノのような気もする。
もう、その雰囲気に飲まれてしまって、上手なのか本当はたいしたことないのか、よくわからない。

 めったに無い機会だと言って、物珍しげに周りに集まって来た窯場の従業員の人達に「凄い、凄い」と絶賛されて、ご機嫌の先生は、次の日わざわざ高台の削りも教えに来てくれるという。

 次の日、一気に削った高台は確かに上手かった。手にとってみると、とても良い感じだ。
「やってみろ。」と言われて、一つ削ってみたが、ぎこちなくて勢いが無く、全然良くない。
「お前のはどうも固いな。」と言って手につばをつけ、僕が削った高台を撫で回すと、なんとか見られるようになった。

 先生の挽く抹茶茶碗に40万円の価値があるかは、まだ半信半疑だが、
一つ気づいたのは、器を作っている時の先生はとても楽しそうだという事。
その事が特別印象に残ったという事は、それが今の僕には足りないという事。

 そのあとも先生のおしゃべりはなかなか終わらなかった。
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by gadget-pottery | 2008-10-30 21:46 | 陶芸
陶芸仲間
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 友人の個展に行った。

 特に陶芸関係の団体に所属しているわけではないので、陶芸の学校の同級生や、その周辺の友人達が貴重な陶芸仲間である。
 だいたい生活ぶりや活動の規模も似ているので、陶芸の技術や個展の仕方などの情報交換はとても参考になる。
 最近、陶器祭りなどのイベントにあまり出展しなくなっているので、そういった友人達と会う事が少なくなっているので、それぞれの個展に出向くのがちょどよい機会だ。

 陶芸の技術関連の情報交換も良いが、だいたい同じような立場で一所懸命がんばっている友人の活動を見るのは一番励みになる。
 工房で一人で悩んでいるような事も、他の友人と話してみると同じような悩みを持っていたりして、皆そういうものなのかと気が楽になったりする。
  
 陶芸の学校で得た一番の収穫はそんな陶芸関係の友人をたくさん持てたことだ。
学校を卒業して10年になるが、陶芸を辞めてしまった人もいるものの、それぞれ日本中に散らばって活動している。

 近頃はあまり会わなくなってしまったが、また何か会う機会を久しぶりに作ってみるのも良いかもしれない。
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by gadget-pottery | 2008-10-24 19:48 | 陶芸
気分転換
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 身の回りに起こる事はたいてい考えようによって良くも悪くもなる。
嫌な事が起こっても、勉強になったと思えば結果として良かったと言おうと思えば言える。

 だから、いつも良いように考えていれば良いようなものだが、それでも落ち込んだり悩んだりする。
 しかしよくよく原因をつきつめて考えてみると、体調が悪かったり、天気が悪かったり、割と生理的な問題であることが多い。

 そういう事に気づいて以来、嫌な事ばかり頭に浮かんだり、不安になったりするときは、だいたい体調が悪い時なので難しい事を考えるのを止める。
 特に将来の事を考えると消極的になるばかりで良くないので、考えないほうが良い。
 でも、そういう時に限って悪い考えに捕らわれてしまって、それを考えないようにするのは結構難しい。
 悪い事から目を背けて逃げてるような罪悪感を感じるからだ。本当は体調の良いときに同じ事を考えると案外たいした事ではないのだ。

 気分を変えるには、不安に感じている考えを潔く手放して、どうでもいい事、楽しい事を考える。できるだけくだらなければくだらない程いい。

僕の場合そういう時にする事は、

ペットの陸ガメが餌を食べるのを眺める。
ギターを弾く。
本を読む(ミステリーなどの軽いもの)。
コーヒーを飲む。
音楽を聴く。
TVでお笑い番組を観る。
映画を観る。
チョコレートを食べる。
芸能ニュースを見る。

書き出してみるとずいぶん月並みだけど、これらのもの達にはずいぶん助けられている。
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by gadget-pottery | 2008-10-18 21:52 | 日々
ボブ・ディラン
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 いまさらながら、ボブ・ディランにはまっている。
本当だったら10代のうちに聴いているべき音楽だ。

 10代の頃、僕はシンディ・ローパーとかを聴いていた。別にシンディー・ローパーが悪いわけではないけど、もっと違うものを聴いていれば良かったと思う。
その頃はWe Are The Worldでもっと「ボブ・ディラン」っぽく歌えと冗談で言われているボブ・ディランしか知らなかった。

 最近良く思うのは、わかっていると思っていたものが実は全然わかっていなかったという物が結構あるということ。
 音楽についてもそうだし、たぶん陶芸についてもそうだ。
 
 陶器については、ちょっとわかったような気になっている今が危ない時期なんじゃないだろうか。
 食器にせよ、オブジェにせよ、流行というものがあって、流行を追っていてはダメだが、流行を知らずにちょっと古いというのはもっとダメである。

 陶器をはじめた頃は何もわからなかったが故に他人の作品を片っ端から見て吸収しようとしていた。今はある程度わかった気になっているせいで、自分の好みに合ったものだけを選んで見ている。
 そのおかげで迷うことも減ったが、それは裏を返せば新しい事が頭に入ってこなくなっているという事だ。
 
 周りの他の陶芸作家の作品を見ても、年代ごとに作風が似た傾向にあるような気がする。
ということは、その作家が一所懸命勉強した時代の流行を引きずりがちだということではないだろうか。

 僕が今良いと思っている陶器の感覚は、おそらく大部分が数年前の自分の作風に対する迷いが多かった時期に形成されたものだとしたら、その感覚はもうすでに「ちょっと古い」わけだ。

 しかし実際に自分の作る物が「ちょっと古い」のかどうか、もしかしたら古くなっている感覚ではもうわからないのだろうか?



 友よ、答えは風に吹かれている。




 ちょっと強引だったかな?
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by gadget-pottery | 2008-10-04 22:06 | 陶芸